繰り返すこと

毎朝『日刊 気持ちいいもの』を書いている。するといろいろと気づくことがある。そのひとつをここに書こう。

夢に何か気持ちいいことが登場すると、それを『日刊 気持ちいいもの』に書くことができるが、そうではない場合、たいてい最初に思いつくのは前日に書いたことだ。「まあそうだろう」とそのことを特に気に留めていなかったが、これって人間の、または脳を持つ生命の特徴なのかもしれないなと思ったとき、思い出したことがあった。

それは子供が言語を獲得していくとき、何度も同じようなことを語る。しかも、頻度が高いのは、同じことの中にある些細な違いについて語ることだと言語学の本で読んだ。

だとすると、僕のような大人でも、実は脳のある領域では絶えず子供と同じことをしているのではないかと考えた。しかし一方で同じことを繰り返し反芻することは「意味がない」と教え込まれた結果、教育された大人は、それを無視するようになった。

なぜ同じようなことを繰り返し考えてはいけないのだろう?

人間には学ぶことがたくさんある。それらを学ぶためには、理解したことはすぐに大きく発展させるか、もっと別なことを学ぶかするように教え込まれたからではないか?

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言葉の中毒

人間はまるで言葉の中毒です。認識したことは必ずといっていいほど言葉にします。認識したことで言葉にしないものはほとんどありません。この癖があるために文明が発達したとも言えるでしょう。では、なぜ人間はそれほどまでに言葉に執着するのでしょう?

すべての生命が種を保存するために子供を作ります。しかし、ほとんどの子供は自然の中で淘汰されてしまいます。その淘汰に負けないように親は次々と子供を作ります。それはどこか切ないほどの営為です。人間が言葉を発するのはそれに似ているのではないかと思うのです。生命は子供を作り続ける理由など知りません。とにかくそれをせざるを得ないのです。

なぜそのようなことを思うのかというと、言葉が複製子だからです。遺伝子も複製子です。遺伝子は複製することで生き残ります。もし複製しなければ、その存在は永続しなかったでしょう。つまり複製し続けることは、なぜ?という疑問がでる前に、そうしなかったなら存在できなかったからなのです。たまたま複製できるようになったので存在し続けられているのです。だから、生命になぜ子供を作るのか?と聞くのはナンセンスなのです。子供を作る能力が生まれたから生命として存在し続けているのですから。

いっぽうで言葉ですが、人間になぜ言葉をしゃべるのかと聞くことは、生命になぜ子供を作るのか?と聞くのと同じようにナンセンスなのではないでしょうか? つまり、言葉という複製子を次々と生み出し続けることができるから人間になれたのです。

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