変性意識と祭

このエントリーはこのページ(柳田國男全集13)からの続きです。

変性意識状態というものはあまり厳格には定義されない。だから、クスリでラリるのも、過呼吸でクラクラするのも、同じ文字を見続けて意味が不明になることも、同じ変性意識状態とされる。前の書き込みで変性意識状態が大切であると書いたが、すべての変性意識状態が大切なものとなるのかどうか、そこはよくわからない。変性意識状態をすべて味わったわけでも、定義されてる区別(そもそもどんな定義があるのか知らない)について考えつくしたわけでもないので、一部の変性意識についてはあてはまらないかもしれない。なので、以下の話しはある一部の変性意識についてしか成り立たない話しかもしれない。そのことをまずは断っておく。

須原一秀という哲学者をご存じだろうか。『<現代の全体>をとらえる一番大きくて簡単な枠組』という本で「哲学の学問的不成立」を主張したため、それ以来 社会思想研究家を名乗った。須原氏の本はとても明確に書かれている。あまりにも簡単に読めるので、これで哲学の不成立を謳ってもいいのだろうかと心配になったくらいだ。

その須原氏の著作に『高学歴男性におくる弱腰矯正読本』という変わったタイトルの本がある。内容は「高学歴にもかかわらずなにをやっても中途半端にしか思えない男たちは、変性意識を体験することで自己保全意識を低くして、自己破滅にも近い真の優しさと強さを発揮しなさい」という「えっ?」と思うような内容だ。実際にはその本を読んで欲しいが、論を進めるために最低限の内容を以下に書く。その本にはまず須原氏が教えている大学で取ったアンケートの披露から始まる。このようなものだ。

事例1 僕が小学校3、4年の頃、家に唐草模様の入ったガラス窓があって、それをずーっと見つめていると、ガラスの模様がだんだん大きくなってきて、目の中に飛び込んでくるのです。それが、波紋のような感じで、ビシビシと体の中に入ってきて、体がガクガクとふるえているような感じになってきて、目の前が真っ白になりました。その感じが、怖いのですが、とても気持ちよく、やみつきになり、毎日ガクガクとなって遊んでいました。

事例2 机の上でピンポン玉を手で押さえて、指先から逆回転を与えて弾き出させて、遊んでいました。右へ左に動くピンポン玉を目で追っておりましたが、そのうちに、ピンポン玉は円柱などとは違ってどの向きから見ても「円」なんだなー、と考え始めたあたりから、なんだか記憶が薄い。自由に動きまわるものを体の内に取り入れて、自分も自由に動けるようになりたかったのか、その時ふとピンポン玉を口の中に入れてしまっていたのである—-飲み込もうと思っていたのか?

その瞬間ふと我に返った。一瞬青ざめた。何故そんなきたないものを口にしたのか、今考えても分からない。

このような例がいくつも出てくる。そして、その本ではこのような体験をこう考えると宣言している。

1.これらが何か不思議な神秘的な原因をもつものとする考え方は拒否する。

2.これらを異常な病的なものとする考え方にも反対する。

さらに「これらは普通人の正常性の揺らぎの範囲内の出来事である」と考えると立場を表明している。この正常性の揺らぎの範囲内での変性意識は「本人の意志、意図」または「何かの認知」をきっかけとして起こるものとしている。つまり、このふたつによらない変性意識は夢か熱のせいか、病的なものだという。

この「普通人の正常性の揺らぎの範囲内」で起こる変性意識は価値意味を高めるという。たとえば事例1では唐草模様が何かの感覚の引き金になっているし、事例2でもピンポン玉の動きに魅了されて口に入れてしまう。普通の意識であったならそんなことはしない。その一瞬だけには価値のある意味がその行動にあったのだろう。だから、変性意識にあるとき、思わず動かずにはいられない、何かの価値がそこに生まれているのだ。つまり言い方を変えれば、変性意識によって一瞬、日常から解放されたともいえる。

変性意識の親和性をこの本ではウヨク性と呼び、理性への親和性をサヨク性と呼んでいる。「精神一到なにごとかならざらん」的な考えはウヨク性で、システム手帳でタイムマネジメントをするような考え方がサヨク性だ。

ウヨク性で生きるとき、なぜか人は生き生きとする。あることへの価値意味を大きくしているからだ。

一人の人間の中には常にウヨク性とサヨク性が共存し、張り合っている。しかし、最近の人に多いのはサヨク性だ。理性的に考えて行動し、本能的に動くことはよくないとされる。しかし、それでは行動する本人が行動に与える価値意味が低いままなので、あまり楽しくはない。楽しく生きるためには、生き生きと生きるためには、時にはウヨク性も必要だ。

変性意識は自分への没入。その没入に無心になれるかどうかがポイントだ。先日村松恒平さんが『達磨』という本を出版なさった。なぜその本を書いたのかという質問に村松さんはこんな風に答えた。

「達磨の絵はたいてい気難しい顔をしてますが、あの顔は本物の顔ではないような気がする。禅に没入しているとき、それは苦しいことではなく、気持ちよくて楽しいから何年もたっちゃったって感じなんだと思う。だから、そんな達磨が感じられるような本を書きたかった」

没入が楽しみなのです。つまり変性意識にひたることが楽しみなのです。

この達磨の変性意識と須原氏の変性意識、お祭りで現れてくる変性意識は同じだ。個人の意志でその状態になるか、団体行動の結果そこに入る状況が整うかの違いはあるが、ある認知の結果その状態になることだと考えれば、須原氏の定義にも合う。

ここでバリの祭に話しを戻す。なぜお祭りで変性意識状態になるといいのか。それはひとつは、息苦しい決まり事や人間関係をその一瞬で組み替え直すことができるからだ。

2001年、バリ島のある村で「死者の寺」と呼ばれる「プラ・ダラム」のお祭りがあったので見に行った。夜になり広場でトランスダンスが始まる。村の男たちは次々とトランスして狂っていく。トランスした男たちには人間関係など関係ない。緊密に編まれたバリ島の人間関係が一気に緩む瞬間だった。同じことが日本にもあったのではないだろうか。トランスしたかどうかまでは知りようもないが、少なくとも神の前では人間の位などは取るに足らないものになったのではないだろうか。そのことで、かつての日本の厳しい上下関係を一瞬緩めたのではないだろうか。

さらにもう一点、ニュピを体験すると、二晩も徹夜するにもかかわらず、清々しい感じが残る。これも変性意識を体験するからではないかと思う。

この先もまだ長くなりそうなので、続きはまた。

このエントリーの続き「ニュピの変性意識」はこちら。

自死という生き方

須原一秀という哲学者の本。「自死という生き方〜覚悟して逝った哲学者」を読んだ。

「おくりびと」がアカデミー賞外国語映画賞を取り、死について考える人が多くなってきているんだろうなと思う。去年僕も見て感動した。何度も泣かされました、いろんなシーンで。しかし「おくりびと」はあくまでも他者の死である。つまり自分以外の死を扱うことだ。ところがこの本、他の「死」を考えた本と徹底的に違うのは「自分の死について」の本なのだ。

「自分の死なんて、死んだことがないんだからわかるわけないじゃん」と思うかもしれないが、この本は著者自身が最後に死ぬよと予言して、きちんと死ぬのである。だから著者のあとがきのあとに、家族からとしてご子息がコメントしている。

一言で言うと父は毎日楽しそうな人でした。

お酒を飲むこと、銭湯に行くこと、運動をすることが好きで、友人も多く、還暦を過ぎても変わらずエネルギッシュに、若い自分よりよほど人生を楽しんでいるように見えました。

その父が、突然自死を遂げたと聞いた時、もちろんとても驚きました。

文字通り腰が抜けてしまいそうになるほどの衝撃でしたが、その反面、「父らしい最期だったな」と妙に納得させられた面もありました。

とは言え、父には借金や病気、その他一般的な自殺をする理由がなかったことは、一番側にいた母を含め、家族として断言できます。

父らしい、と思ったのは、以前から母に「死ぬときは潔く死ぬ」といった内容の事を話していたのを私も聞いていたからです。

そのせいか、どこかで心の準備が出来ていたのだと思います。

「自死という生き方〜覚悟して逝った哲学者」 須原一秀著 双葉社刊

「最後に   家族から」 抜粋

この本は「自殺」についての本ではない。「自死」についての本だ。「自殺」と「自死」では何が違うかというと、「自殺」は現在の状況からの逃避として死ぬ、「自死」は逃避ではなく、自主的に死を選択して死ぬことだ。だから須原氏は人生に苦しんだり、嫌気がさして死んだのではない。「楽しい人生をまっとうするため」に死を選んだのだ。その考え方を多くの人に理解してもらうために「新葉隠〜死の積極的受容と消極的受容」という本を書いた。それをこの本の編集者が浅羽通明氏の解説と、さきほど抜粋したご子息からの文章を加えて「自死という生き方〜覚悟して逝った哲学者」という本にした。

実は僕も同じ事を考えたことがある。それは小説のプロットを考えていたときだった。次第に医療が発達し、お金持ちは十二分な医療を受けられるようになったため、いつまでも生きていようという「選択」ができる。しかし、生物はいつか死ぬものだ。なので積極的に死を選ぶと言うことがあっても不思議ではないと思ったのだ。自分で立てなくなり、思うように動けなくなったとき、果たしてどうするか。このからだを脱いで、次の生へと旅立とうとするのではないかと考えたのだ。輪廻転生が実際にあるかどうかはわからないが、もしそのことを信じていると、自分からの脱皮はさらに容易にできるようになるなと考えた。

しかし、僕の場合は考えただけである。

須原氏はそのことを考え抜き、プロジェクトのようにして死に至る。その死までの考えを一冊にまとめたのだ。

この本の中で特にすごいと思ったのは「死の能動的ないし積極的受容の五段階」というものを理論として書いているところだ。キューブラーロスの「死の受容に関する五段階説」を参考に考えたそうだが、ひとつひとつ丁寧に考えていくと、自分も死に引きずり込まれそうだ。以下に引用するが、自分は引きずり込まれないという自信のある人が読んでください。

1「人生の高」と「自分自身の高」についておおよその納得

a 楽しいこと、うれしいこと、感激すること、苦しいこと、悲しいこと、などの
経験を通して、結局「人間が生まれて成長し、良いことも悪いこともあって、
老化して死んでいく」という人生全体についてのおおよそを体で納得していること

b 自分にできることの範囲のおおよその見当と、自分のして来たこと全体に対する
おおよその見通しを体で納得していること

c 種々の「極み」を達成することによって、「自分は確かに生きた」という思いを
日々体で納得していること

2死についての体感としての知識

a 自然死・事故死・老化・病気についての経験と学習と熟考

b 日ごろからの人生と死についての経験と学習と熟考

c その結果、「自分の死」(一人称の死)と「縁者の死」(二人称の死)と「他人の死」
(三人称の死)の違いを、実感かつ体感として区別し、理解できること

3「自分の死」に対しての主体性の確立

a 「自然死」に対しての主体性の確立(「自然死」の意義を自ら確認し、一人称の
立場で「どんな悲惨な形であってもかまわない。耐えて死んでみせる」という
覚悟と共に、「自然死」を自ら選択し、ゆるがないこと)

b 「人工死」に対しての主体性の確立(「病気・老化・死」という一連の運命に
受動的に流されることを拒否するための方策として、「意思的自死」の意義を
確認し、一人称の立場で葉隠的「死に狂い」の心構えを構築すること)

4キッカケ待ちとその意味づけ

a 自然死派(共同体への種々の配慮と、最後の瞬間までの生活様式の確立)

b 人工死派(自らに納得できる決断の時期の設定とその理由付け、そして共同体との
折り合いをつけるための配慮)

5能動的行動

a 「さあ、来い!」という積極的に迎え撃つ心構えの構築作業

b 「さあ、行くぞ!」という心構えでの積極的行動

「自死という生き方〜覚悟して逝った哲学者」 須原一秀著 双葉社刊

この五つがそろってはじめて自死できるそうだ。すごい考察をしたものだ。ここでは「自然死」と「人工死」を区別することで、「人工死」の価値に気づかされる。

「自然死」がどういうものかをまず考える。「自然死」については『人間らしい死に方』(ヌーランド著河出文庫)という本を参考にしている。そしてこう書いている。

専門家としてのヌーランドは、「はじめに」の所で「私自身、人が死に行く過程で尊厳を感じた例に出会ったことはほとんどない」と主張し、エピローグにおいても「臨終の瞬間は概して平穏で、その前に安楽な無意識状態が訪れることも多いが、この静けさはつねに、恐ろしい代償とひきかえでなければ得られない」と言っている。

つまり、「自然死」のほとんどが悲惨なものであり恐ろしいものであるにもかかわらず、世間にはなぜか、「穏やかな自然な死」とか、「眠るような老衰死」という神話のようなものがあるが、それは間違った思い込みであることを問題にしているのである。

「自死という生き方〜覚悟して逝った哲学者」 須原一秀著 双葉社刊

つまり、恐ろしい「自然死」で死ぬか、ちょっと苦しいかもしれないが自分で選んだ「人工死」を選ぶかと、明確な選択肢を渡されてしまう。こうなってくると「人工死」もありかも、と思わざるを得ない。(もちろん思わなくてもいいんだけど)

この五段階を読んだときに思いだしたのはヒーリング・ライティングの「気持ちいいもの」のエクササイズだ。かつて、毎日ひとつずつ「気持ちいいもの」を思い出し、それを短文にまとめていた。それをし続けると(1000日間続けた)、気持ちいい感覚を以前より容易に引きよせられるようになるのだ。それと同じで、死について考え続け、体感として引きよせることで須原氏は、死ぬ状態に対しての免疫を作ったのだろう。そして、それは須原氏にとっては「免疫」ではなく、「踏み込むためのエクササイズ」だったのだろう。

この考えを自分の中に受けとると(僕の中ではまだ「さあ、来い!」とも「さあ、行くぞ!」ともとても思えないので、まだまだじたばたして生きていくのだが)、自殺しようとする人たちが、「私は自死します」と主張して死ぬような事態が生まれるのではないかと考える。そして自殺に対するある種の抵抗を「自死」と名付けることでその抵抗のハードルを低くするのではないかと心配だ。しかし、いくら僕が心配したところで、それを考えるのは個人個人の心の中なので、相談されない限りはどうしようもない。僕のような「人は自分で死んではいけないもの」という考えにしがみついている人間には「死は個人的なことで他者に束縛されるべきではない」とドライに割り切ることはできるかどうか、まだ曖昧なことにしておきたい。

この本を読んでいて「ソイレントグリーン」というSF映画を思い出した。(ウィキペディアにストーリーが書かれています) あの物語では「人がある状況に強いられていく」が、もし能動的に踏み込んでいくようになったら、いったいどうなるのだろうと考えてしまった。そして、そのことと臓器移植の類似性についても考えた。デリケートで、理解してもらうためにはかなりの文章が必要となるので、ここには書かないでおく。

「自死という生き方〜覚悟して逝った哲学者」 須原一秀著 双葉社刊